昔々、「パソコンも、ソフトがなければただの箱」という警句をよく聞いた。まあ、これは現在でもそうだろう。ただ、当時は「いくら安くでパソコンを買っても、結局はソフトにお金がかかるんだよ」ということでもあった。現在ではオープンソースのソフトで十分に仕事になるので、「ただの箱も、ネットにつなげば最強マシン」ということになっている。
けれど、こんな記事を読んで気がついた。これはLinuxだから言えることなんだと。つまり、もしもブラウザがバンドルされていない状態のWindowsマシンを渡されたら、いくらネットにつながっても手も足も出ないということ。もちろん、Geekな人なら何か手段があるのだろう。だが、たとえば私がそういう状態のマシンを渡されたとしたら、どうしようもない。だって、オープンソースのソフトをダウンロードしようと思っても、ダウンロードサイトにたどり着けないのだから。
Ubuntuならそうではない。Synapticで適当なパッケージを選択すれば、2クリックでたいていのソフトが入手できる。もちろん真っ先にブラウザを導入することも可能。3年前のUbuntu初対面のときにはソフトのインストール方法がわからずに3日ばかりも泣きそうになって悩んだけれど、わかってしまえばこれほどありがたいものはない。Synapticさまさまである(Geekな人ならフロントエンドのSynapticでなくaptがどうとかdpkgがどうとか言うのだろうけど)。
最近はWindowsとUbuntuの優劣論にはあまり興味がなくなって書かなくなっているのだけれど、久しぶりにこんなふうに思った。それは、こちらのブログで「Ubuntuを使う理由、自分にとってのLinux」みたいなことが書いてあったのをたまたま目にしたからでもある。
私がUbuntuを使いはじめたのは、当時使っていたAppleのマシンがMacOSXではどうしようもないほど遅くなってしまったからである。仕事にならないレベルのレスポンスの悪さだった。といって、新しいハードを買う余裕もなかった(いや、買おうと思って毎日Appleの情報をチェックしていたのだけれど)。そこで実用上の理由からUbuntuを使い始めたわけである。だから、Windows一般とLinuxとか、Mac一般とLinuxという比較を行ったわけではなかった。たまたま私の当時の生活の中で、Ubuntuがもっとも役に立ったというだけのこと。
そういう立場から言えば、私の「Ubuntuを使う理由」は、世のWindowsユーザー(あるいはMacユーザー)からの転向組とだいぶちがうのだろうと思う。現在はWindowsマシンを買ってUbuntuを入れているのだから、当初の理由とは異なっている。単純に、こっちの世界に慣れてしまって知らないWindowsの世界に入りたくないだけなのかなあとも思う。そして、冒頭のような記事を読むと、「Ubuntu使っててよかったよ」と思う。
ま、ブラウザなしの「ただの箱」のマシンが販売されることは実際にはないだろうけど。